壬生の狼を飼うことは何人にも出来ん:るろうに剣心

斎藤一の生き様を表す男の名言

壬生の狼を飼うことは
るろうに剣心第五十五幕「大久保利通の依頼」より引用

「壬生の狼を飼うことは何人にも出来ん」が使われた場面

斎藤一が暗殺の依頼をした渋海(しぶみ)に放った一言。

渋海は新選組も明治では歯牙の無い飼い犬と思っていました。

斎藤の背後に大久保郷がいる事が分かり、渋海が斉藤を金で取り込もうとしたときに、この名言が使われました。

犬はエサで飼える 人は金で飼える だが壬生の狼を飼うことは何人にも出来ん

元老院議員だった渋海は勿論、頭はよかったと思うが、人の心は金で変わると思っていた為の大きな人生最大の誤算だったに違いないでしょう。

この名言が語る斎藤一の生き様とは?

新選組

斎藤一と言えば「悪・即・斬」の台詞が有名です。

しかし、この名言は斎藤の生き方を表した本当に良い台詞です。

実際、るろうに剣心ファンの中でもこの台詞を名言と挙げる人は多いです。

思うに、剣心との戦いでも言っていた事ですが、自分の信じる正義「悪・即・斬」は変わらない。

自分の正義の為にはスパイ活動、不意打ちなど汚い手段を用いても構わない。

汚い手段を用いてもそれは正義の為、例え金を積まれようが死ぬまで変わらない。

だから、剣心の不殺の流浪人というのは、幕末にお互い敵同士ながら共有した正義を変えてしまった、偽善の為に自分の正義を曲げたといった怒りがあったのでしょうね。

実際の新選組はどうだったのか?

この精神は斎藤一だけでなく新撰組に生きたものはみんな持っていたのかもしれません

新選組の規律である局中法度では「逃亡は死罪」など過激で厳しい事が書かれていますが、それも悪即斬の精神の元。

権力を持ち、力を持った新撰組自身「力の使い方は、正義(新撰組の信念)の為」と、むやみに力を使うことを禁じていました。

そしてそんな生き方を誇りに持った斎藤はが明治を10年過ぎても、名前を変え、立場を変え、続けてきた生き方です。

やはり、新選組を金なんかで飼うことはできないと考えられますね。

「壬生の狼」ですが、幕末の京都では恐れと蔑みで新撰組を「壬生狼(みぶろう)」と呼んでいたそうです。

狼のように、獰猛で血に飢えた軍団新撰組。

ですが、この台詞の斎藤は獰猛ではあるが、血に飢えたというより、正義に飢えた男。

幕末を生き残った正義の狼といった感じがして、狼のイメージが大きく異なるなと、個人的には思います。

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