人を殺めるのはいつだって、必ず−−人なのです:ブラックラグーン

残酷なまでに真実を言い表したロベルタの名言

人を殺めるのは人

ブラックラグーン #44「 El Baile de la muerte PT.1」より引用

「人を殺めるのはいつだって、必ず−−人なのです」が使われた背景

ガルシアの父でありラブレス家の元当主はとある政治集会に参加した際に、テロに巻き込まれて死んでしまいます。

謹厳なキリスト教徒であるガルシアは、誠実で優しかった父の死を受け止めきれず“なぜ神様は父さんを天にお召しになられたのだろう”とロベルタにこぼしますが、そんなガルシアに返した言葉が名言です。

人を殺めるのはいつだって、必ず−−人なのです

ロベルタの復讐は正しいのか?

どうして、幼いガルシアにロベルタは無情とも言える先ほどの言葉を返したのでしょうか?

ラブレス家元当主の死は、ガルシアにとっては神の思し召しに見えました。そう考えなければ、善良な父親が殺される理由がありません。

しかし、元テロリストとして多くの善良な人を殺してきたロベルタには、違う世界が見えました。

元当主には何も罪はないのに“誰かの不都合”で“簡単に”殺されてしまったこと。

殺した当の本人たちにも“罪のない人を殺した”という自覚はないこと。

元当主が死ぬ必要は微塵もなかったということ。

ロベルタが今まで手にかけてきた暗殺全てがそうだったように。

組織を抜けた訳ありのロベルタを匿い、家族のように向かい入れてくれたラブレス家への恩や、主従関係を超えたガルシアへの愛がロベルタを復讐に駆り立てます。

しかし、ロベルタ自身も多くの罪なき人を殺し、その遺族から復讐を受ける責任があります。

そんなロベルタが復讐など、都合のいい話ではないでしょうか?

もちろん、ロベルタもそれは重々承知していて、自分の復讐を「穢れた犬同士の共食い」と表現しています。

決心と武装を固めた後に「全ての不義に鉄槌を」と漏らしますが、自分が復讐にかられた殺人鬼になり、人間性を失うことも示唆しているのかもしれません。

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