一本の矢は折りやすい。一つに束ねれば折れにくい:毛利元就

戦国時代の知将、毛利元就が息子たちに送った名言

一本の矢は折りやすい

一本の矢は折りやすい。一つに束ねれば折れにくいの意味

一本の矢は簡単に折れるが、三本の矢を束ねるとそう簡単には折れない。
一人では、難しい事も兄弟や仲間と心を一つにして乗り越えることができる。
という、兄弟や仲間との協力が大切であるという言葉

毛利元就には、長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景がいました。
武辺者の次男、知将の三男は事あるごとに兄弟喧嘩をしていました。
各々はどこに出しても恥ずかしくないほどの名将だったのですが、兄弟喧嘩を続けたままでは毛利家が安泰しないと考え、元就が協力の大切さを説いたと言われています。

世にいう「三本の矢の教え(三矢之戒)」です。

一本の矢は折りやすい。一つに束ねれば折れにくいを日常で使う

仲の悪い後輩や部下に使えるのは勿論、内輪もめを収めるときには非常に使えます。
また、子供の教育においても兄弟をお説教する際に役立ちます。

一本の矢は折りやすい。一つに束ねれば折れにくいの使用例

部署の会議で
総務部長「営業が適当にするから数字が判らないんです」
営業部長「総務が細かいから営業に出る時間が少ないんだよ!」
という場面で

自分「一本の矢は折りやすい。しかし一つに束ねれば折れにくい。毛利元就の三本の矢の教えです。営業が、総務が、と注文や文句を言うよりどうやったらスムーズに仕事ができるか考えましょう。気持ちよく仕事ができたら、売り上げも伸びますよ」

毛利家

毛利家は、毛利元就が中国地方の覇者として名を挙げたことが有名です。
その後家督を継いだ、輝元は関ヶ原の戦いで西軍の総大将に祭り上げられたことが理由で改易させられ、領地が大幅に減りました。
(改易とは、大名が罰として城や領地を取り上げられること)
大大名からの転落の為に、苦労が色々あったようで、黒田如水に「大名を辞めたい」と相談したこともあったようです。

その為、徳川幕府には相当恨みがあったらしく。
毎年正月に「殿、今年は関東を討ちますか?」という会話があったと言われるほどです。
その執念のたまものか、200年の時を経て毛利家は幕府を倒す1藩(長州)になったのだからすごいものですね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この名言好き?

下の「コメントを送信する」ボタンを押してね。

post date*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)