人間は不遇になった時、はじめて友情のなんたるかを知る:前田利家
前田利家の人間関係の大切さを表す名言
人間は不遇になった時、はじめて友情のなんたるかを知るの意味
前田利家と言えば、加賀百万石の大名として、豊臣政権では五大老の中心として名を馳せる戦国武将です。
しかし、実は若いころ織田信長のお気に入りの茶坊主が前田利家に無礼を働いた為に、これを斬り殺すという事件を起こしてしまいます。
勿論、織田信長は大激怒。打ち首確実だったところを柴田勝家などの助命嘆願があり、一命をとりとめましたが信長軍を勘当させられてしまいます。
まさか、結婚して翌年にいきなり無職となってしまったのです。
それまでは、織田信長の側近ということで、色々な人が寄ってきましたが、勘当されてしまってからはみんなに敬遠され、しかも生活に困ってしまう始末。
それを助けてくれたのがご近所だった豊臣秀吉だったのです。
清州時代、安土時代とご近所が続いたこともありお互い家族で助け合い数々の武功を残していったのです。
人間は不遇になった時、はじめて友情のなんたるかを知るを日常で使おう
これは困っている時に助けてくれた友達に使うのは勿論、友達の多さを自慢してくる友達などにはちょっとお灸を据えるときにはいいですね。
SNSなどのせいで友達が増えたと思い込んでいる人も多いようですから・・・(;´∀`)
人間は不遇になった時、はじめて友情のなんたるかを知るの使用例
その①
友達「Facebookの友人が800人いったぜ!俺ってなんて人気者なんだろう」
自分「人間は不遇になった時、はじめて友情のなんたるかを知るものだ。その800人のうち本当に困っている時助けてくれる人は何人いるんだろうね」
その②
友達「ほんと助かった!ありがとう」
自分「人間は不遇になった時、はじめて友情のなんたるかを知るものだ。俺は友人だと思っているから助けただけだよ。だから気にするな」
前田利家の苦労
豊臣秀吉とはご近所付き合いから始まり、彼が太閤になった時には五大老の一人として補佐していた。
表面上は、主従関係(強力な同盟関係とも言われています)で接していましたが、裏ではお互い風呂に行ったり、お灸を据え合う仲だったようです。
友人を大切にする前田利家ですが、賤ヶ岳ではとんでもない苦労を背負う事となりました。
上記の事件の際、助命嘆願で命を救ってくれ、「親父様」と慕っていた柴田勝家と親友の豊臣秀吉が対立。
初め前田利家は、柴田勝家についたのですが、合戦の途中で自分の城に撤退(親友と戦いたくなかったという説もあります)。
その後、柴田勝家は敗走し、自分の城へ帰る途中前田利家の城に寄り、「秀吉と親交があるなら和議に応じるよう」にといわれ、豊臣軍と和議。
その後、柴田勝家の城を攻めた際には、柴田勝家の助命嘆願を願い出たのですが聞き入れられませんでした。
それでも前田利家は豊臣秀吉と親交を続けたのは、やはり苦しいときに苦労を分かち合った仲だったからかもしれませんね。