降参した者は、それ以上責めてはいけない:豊臣秀吉
豊臣秀吉の人たらし極意ともいえる名言
降参した者は、それ以上責めてはいけないの意味
人は弱い人を見ると攻撃したくなる性分がどこかにあるようです。
弱っていたりすると、反撃されることなく一方的に攻撃できるのでストレスの発散になるのでしょう。
しかし、心の広い人は、失敗をした人や果ては敵にまわっていた人すら決着がつき次第許すものです。
そういう心の広い人を見ると器がでかいなぁと思いますし、許された方も、この人の為に頑張ろう!と思って全力で物事をあたるようになります。
身分の低かった豊臣秀吉が、仲間を増やすうえでやはり「器の大きさ」というものが必要だったので、例え敵であっても、降参したらそれ以上責めるより部下として使った方が良いと思っていたのかもしれません。
降参した者は、それ以上責めてはいけないを日常で使おう
部下や後輩の説教が長い人に使いましょう。
ごめんなさいと言ってるのに、ネチネチ責める人の肩を叩いて言えば好感度が上がるかな。
降参した者は、それ以上責めてはいけないの使用例
後輩にネチネチ説教する同僚に
同僚「こんな入力ミスするなんて、社会人何年目だ?だから、結婚もできないんだよ」
自分「あやまってるのだから、許してやれよ。降参した者は、それ以上責めてはいけない、豊臣秀吉の言葉だけど、自分の非を認めた人間を許してやる心の広さを持てって」
同僚「なんで、そんな心の広さがいるんだよ!こっちは上司に怒られたのに!!」
自分「心の広さを見せることで、後輩や女子社員からの好感度アップ!」
同僚「!!許す!」
信長化した豊臣秀吉
織田信長と言えば、比叡山焼き討ちや浅井朝倉連合に勝利した時、当主の髑髏で盃を作って乾杯したなど、敵対したものを徹底的に倒し、敵味方にも恐れられるようになっていました。
逆に、豊臣秀吉は敵味方共にわずかな被害で済むように、兵糧攻めや水攻めなどを行い、開城後も城主の一族以外はすべて助けるなど失う命は最小限で済ますとしていたようです。
ただし、これも秀吉が天下人になってからは、信長のようにとは言いませんが、千利休の切腹や養子秀次事件での一族粛清、朝鮮出兵など、権力を維持するために怪しい芽を摘む必要があったのかそれとも、権力の魔力か晩年は「残酷」と酷評されることもしばしばあります。