壊れているのは俺達だって同じだろ:るろうに剣心

志々雄真実が自身らを客観的に言い表した名言

壊れているのは俺達だって同じだろ

るろうに剣心 第八十七幕「修羅の会合」より引用

「壊れているのは俺達だって同じだろ」が使われた背景

蒼紫は瀬田宗次郎から葵屋を襲撃するように持ちかけられる。蒼紫は葵屋の人々と過ごした日々を思い出すが最強の華の為に、葵屋の襲撃を決意する。
それを見た方治が「同志を見捨てるとは相当壊れてる」と、至極当たり前のことを言ったのに対し志々雄が言ったのがこの名言「壊れているのは俺達だって同じだろ」です。

御庭番衆の中でも、比較的早く一般社会に溶け込んだ葵屋の一同。
そして、一般社会に入れなかった般若たち。元は、同じ仲間だったが、蒼紫の代わりに命を散らした4人。

彼らの手向けになるためには最強の華が必要と考え、蒼紫は元仲間の葵屋を襲撃し、剣心の情報を聞き出そうとします(結局は翁だけでしたが)。
幕末最強と言われる大きなものを超えるためには普通ではとても無理。
それには、何が何でもというガムシャラさ、もしくは常識を超えるまさに壊れたところまで行く必要があるのでしょう。
志々雄自身も、日本の掌握という普通では考えられない、何処か壊れた考えの持ち主。

天才は天才を知るというが、この場合、壊れたものは、壊れたものを知るというのかもしれませんね。

志々雄真実と鵜堂刃衛の壊れ方

壊れるという響き自身よくないかもしれません。
でも、何か大きなことを成し遂げようとしたら、「壊れる」必要があると思います。
仕事でも、限界を超えるときは価値観を「壊す」とも言いますしね。

志々雄の言う「壊れた」という台詞も一般的な線引きから見たら「壊れた」という言い方になるかもしれません。
単純に壊れてるだけの人間に十本刀以下、兵隊がついて来ませんし、剣心の本質を言い当てたりできません。
また後に、彼自身「てめえのものさしで語るんじゃねぇよ」と自分自身のものさし(価値観)を持っていることを言ってます。
(ただものさしが大きすぎて、死んだのも「時代が自分に味方しなかった」というとらえ方をしますが)

何にしても、壊れてると言っても鵜堂刃衛とは違った壊れている志々雄真実。だから、未だに人気があるのでしょう。

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