全ての終わりが告げられても…「ああ そうか」と思うだけだ:寄生獣

物語の中心人物パラサイト田村玲子の最期の言葉

全ての終わりが告げられても

寄生獣第48話「ただいま」より引用

全ての終わりが告げられても…「ああ そうか」と思うだけだ。の意味

第48話にて公園で主人公泉新一と会話をしていたパラサイト田村玲子は、平間警部補をはじめとする刑事たちに正体がパラサイトだとバレてしまいます。

刑事たちに拳銃で次々と打たれる田村玲子は逃げも攻撃もしません。
ただ髪を硬化させ、拳銃の玉から腕に抱いている赤ん坊を守るだけです。
平間警部補から「危険だから田村玲子から離れろ」と言われた泉新一は田村玲子から離れようとします。

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しかし、まだ話すことがあり、子どもを新一に託すため、
田村玲子は新一に離れられては困ります。

どうすれば新一をひきとめておけられるのか?
田村玲子は顔を亡くなった新一の母親に変化させます。

新一は母親の顔を見て田村玲子の気持ちを察し近寄ります。
そしてこの名言が出ます。

「1つの疑問が解けるとまた次の…疑問がわいてくる…始まりを求め…終わりを求め…考えながらずっと…歩いていた」
「どこへ行っても同じかもしれない…歩くのをやめてみるならそれもいい…」
「全ての終わりが告げられても…「ああ そうか」と思うだけだ」

名言ですね。
求道者のような言葉で、常日頃から真剣に「自分とはなにか?なぜ生まれてきたのか?」という疑問を人間よりも考え続けてきたからこそ出る言葉でしょう。
この寄生獣の大きな柱である「哲学的なテーマ」の象徴ともいえる名言ですね。

泉新一の涙

母親を亡くしてからずっと涙を流せなかったことは、実際に空けられた「胸の穴」と重ねて表現され、新一を苦しめていました。

この田村玲子の死をきっかけに新一は初めて涙を流します。
田村玲子の死は新一を救うことになったと考えられます。

新一を救うことになったと考えられる理由は、田村玲子の行動が「母親」だったからだと思われます。
ミギーにも理解できていなかった田村玲子が「なぜ死を選ぶ行動を選択したのか」は、子どもの命を最優先にしたからではないのでしょうか?

それが新一の「胸の穴」を埋め、涙につながったのです。
田村玲子が求めていた疑問の最後の答えは「母親」になることだったのかもしれません。

原作とは異なる映画「寄生獣」のテーマとは

映画「寄生獣」では主人公泉新一の父親はいません。母子家庭の設定になっています。
それは映画のテーマが「母親の愛」を前面に出しているからだと思われます。
だとすると、この田村玲子の最後のシーンは大きな見せ場になるのではないでしょうか?
4月25日公開の後編が楽しみです!

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