最も多くの人間を喜ばせたものが最も大きく栄えるもの:徳川家康
徳川幕府反映の秘訣?
最も多くの人間を喜ばせたものが最も大きく栄えるものの意味
人を喜ばせるには色々あります。
自分が相手に好感や好意、関心を持ったり、困っている時に助けたり、何らかの形で協力してくれたりなど。
こうしたことをされるとやはり、人は嬉しいもので、何らかの形で恩を返そうとするものですね。
この名言も突き詰めると「多くの人を幸せにできれば、それだけ自分が幸せになれる」ということに行きつくのではないのでしょうか?
戦国時代を終わらせた徳川家康(徳川幕府)は多くの人に喜ばれた。その結果、徳川幕府は1番長い幕府として続いたんでしょうね。
最も多くの人間を喜ばせたものが最も大きく栄えるものを日常で使おう
この言葉は会議や打ち合わせなどで意見が、上司や先輩のよいしょになって全然だめな案に決まりそうなときにビシッ!というと格好いいですよね。
力の強い人のご機嫌を伺って、他の人の負担を考えない人に言ってやりましょう!
最も多くの人間を喜ばせたものが最も大きく栄えるものの使用例
同僚「今回の飲み会、上司のUさん2000円で、俺たち4000円にするか。あの人うるさいし」
自分「最も多くの人間を喜ばせたものが最も大きく栄えるもの。徳川家康の言葉だけど。これは、多くの人を喜ばした人が結果成功するってことなんだよ。今回みたいに、上を持ち上げて下に無理押しつけると、君は下から恨まれて最終良い結果にならないと思うよ」
同僚「なるほどな。じゃあ、上司からいっぱい取るか?」
自分「というか、みんな一緒でよくないか?会費くらい」
戦国武将のリーダーシップも色々
有名な大名の人のまとめ方には特徴がありますよね。
織田信長は、身分に関係なくできた人間には褒美を与え、しかし罰はどんな重臣にも与えていました。その為、いくら出世しても油断できない緊張感があったと思います。
そして、豊臣秀吉は褒美(領地)によって人をまとめようとしました。その為に、日本が安定したのちは、新しい領地を得るために朝鮮に出兵したとも言われています。
では、徳川家康は?と言いますと、褒美以外に人のつながりを持ってまとめていたようです。真田信之や黒田長政など大きな有力な武将には、配下の武将の娘を養女にしてその養女にした娘を嫁がせるなどして身内を作っていきました。そうすることで、娶った武将も頑張ろうと思い、良い働きをしてます(黒田長政は関ヶ原の合戦で、真田信之は実の親兄弟と別れても徳川軍について戦いました)。